プロフィール

平下治
平下治
1978年GISに出会い、翌1979年10月ビジネスGIS専門会社株式会社ジェー・ピー・エス設立、以後一貫してビジネス分野でのGISの運用コンサルタント業務に従事。民間のマーケティング現場での出店計画や既存店の活性化、メーカー等の販売促進計画等を手がける。

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GISマーケティングの株式会社JPS


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2007年8月 アーカイブ

2007年8月30日

平下治のGIS物語22「ビジネスGISの講演活動」

全国各地で講演活動

執筆依頼と同時に講演依頼が増えてきました。北海道から沖縄まで全国から依頼を頂くようになりました。それまで、全国47都道府県の内30県あまりには行った事があった(その殆どはゴルフ旅行)のですがこの講演依頼が加わったことでとうとう全国を制覇しました。
伺う先々で色々な方とお会いできますしまた美味しいものも食べられます。
これまでは殆どお酒を飲まなかった私が徐々にお酒が飲めるようになりました。
また、ひとつ楽しみが増えました。嬉しいことです。

2007年8月24日

平下治のGIS物語21「専門誌、各種雑誌に投稿」

GISマーケティングに関心が寄せられる
各種専門誌、雑誌へ投稿

1997年、1998年、1999年にかけてGISマーケティングの成果に注目を集めるようになりました。

1993年、1994年ごろからGISによるマーケティングの導入が始まり、3年〜4年を経過した時点で、その成果を問われるようになりました。当然といえば当然です。

実は、残念ながら、当時、高額な費用で導入された実績件数の割りに、その成果は必ずしも良いものとは言えませんでした。導入はしたもののうまく使いこなせなかったのです。

だから、前回でご紹介した私の書籍「GISマーケティング入門」が評判になったのだと思います。

各関連の雑誌社から「GISを上手く使う方法」の原稿依頼が寄せられるようになりました。

多いときは月に3本も、4本も・・・・です。元々、書くことが苦手な私にとっては苦痛(本音)でした。

しかし、頑張って書いたお陰で「平下治」を知って頂ける様になったのです。苦しくてもやる時はやらなければならないことを実感した頃でした。

2007年8月23日

平下治のGIS物語⑳「4冊目の出版」

JPS創立20周年記念出版
「GISマーケティング入門」ダイヤモンド社より出版

私の書籍としては4冊目となる出版です。創立20周年記念パーティーで、ご出席の皆様にお配りしようと頑張りました。通常の業務を終えてからの執筆、しかも、こんなときに限って各地から講演の依頼、あるいは雑誌社からの原稿依頼などが舞い込んで来ました。でも、何とか記念式典までにはと・・・・

本が出来上がったのがパーティーの2日前でした。この時点で、ご出席頂ける方々は分かっていましたので全ての方に一冊づつお名前を書かせて頂きました。

実はこの本の出版から「GISマーケティング」と言われるようになったのではないかと思います。これまで実務者の間では「マップ・マーケティング」とか「ビジネス・マッピング」とか言っていましたが・・・・
一般ではまだまだという感じでした。

この出版は、また、私にとっては大きな転機となりました。
なぜなら、この本で、私は、あえて、GISは凄い、GISは素晴らしいというようなGISは”魔法のランプ”的なことは一切言わず、「こうすれば失敗する」、だから、「こうしましょう」という本にしました。

つまり、GISの上手な使い方を書いた本、これも、また、良い評価を頂きました。

2007年8月21日

平下治のGIS物語⑲「JPS創立20周年記念パーティー」

JPS設立20周年パーティー開催

しばらく横道にそれていました。GIS物語に戻らせて頂きます。

1998年10月、よちよち歩きながらJPS設立20周年を迎えることが出来ました。
本当に多くの方々に応援して頂きました。ビジネス分野において、このGISがどれほど通用するのか?
いわゆる”海のものとも?山のものとも?”分からない時代にこのビジネスに飛び込み、そして、20年を迎えられたことが奇跡です。何度かの危機に必ずというように”救世主”的なお客様が現れました。

パーティーには189名の方々が参加頂き、「これからも頑張れよ!」と励まして頂きました。

人で言えばやっと成人式を迎えたばかりの若輩者、これからこそ、しっかりやらなければとスタッフ全員で気持ちを引き締めました。(従業員17名)

2007年8月20日

私とポルシェとGIS

 GISの仕事を始めたきっかけは     
実は、ポルシェだった!

私は1979年にGISマーケティングの専門会社JPSを設立しました。そのきっかけ、つまり、初めてGISに出会ったきっかけは実はポルシェだったのです。

以前、「平下治のGIS物語」でも紹介しましたように、私のGISの出会いは大阪大学工学部環境工学科笹田研究室でした。
当時(会社設立の1年前1978年11月)私は生意気にも背伸びをして(でも、憧れだった)ポルシェ911Sに乗っていました。そんなある日、友人であった笹田先生が「僕も1度、ポルシェに乗ってみたいので大学まで持って来てよ」って言われたのです。結果として、この一言が私の人生を変えたのです。昭和48年11月12日のことでした。

11月は日が短いので、夕方、暗くならない時間に大学に行きました。研究室から先生を先頭に大勢の学生さんも降りてきました。先生が運転し、学生さんが助手席に代わる代わる乗ってキャンパス内を何周かされました。「好いなぁー、欲しいなぁー、でも家族みんなで乗れないからなぁー・・・」

一段落して、私が「ところで、先生、時々、話では聞いていたコンピュータの地図って?どんなものなんですか?」と聞いのです。そうしたら「では、見学しますか?」と言われ研究室に行きました。
 これが、私にとって運命的な出会いだったのです。

つまり、ポルシェが縁を作ってくれたのです。今にして想えば、かなり無理をして(他の事を辛抱して)ポルシェに乗っていた甲斐があったのです。

以来、私は何台かのポルシェ(開運の車)を愛車として乗り継いでいます。未だにかなり無理をしていますが・・・・(先日のコルベットは瞬間の出来心で、ちょっと乗ってみたかっただけです)


今、また、これが愛車です。

2007年8月17日

これまでに出会った車

スピードウエイでは楽しいことばかりでした

日本グランプリでニッサンR380、翌年にはR381が・・・その時にトヨタ7が・・・・勿論、ポルシェやジャガー・・・毎日、あのスピード、轟音、においに興奮!

そして、レース開催はカナダ・アメリカンカップ、インディー500マイルレース。
グラハム・ヒル、ジム・クラーク、ジャッキー・シュチアートなど世界の有名なレーサーにまたまた興奮。

しかし、私は父の病気が原因で関西に戻ることになりました。1969年3月退社(3年半在籍)
それでも、レースに関係していたいと考え関西に戻って「富士スピードウエイ関西連絡事務所」の看板をもらって車の修理屋”平下自動車病院”を設立しました。院長平下治、診療科目、内科:エンジン調整、外科:板金塗装、整形外科:チューアップなど・・・

時を経て、後に「アルペン・オート・プラザ」と名前を変えて、ヨーロッパのアルペンラリーに出場するような車を中心に販売する会社にしました。

ここで多くの車に出会いました。出会ったら乗りたいと思いますね。これまでにオーナーとして乗った車は思い出すとこんな車です。

ヨーロッパ車
プジョウ504、フィアット、ワーゲン、ベンツ、BMW、ジャガー、アウディー、モーリス・ミニ、アルファ・ロメオ(ベローチェ・ベルリーナ・スッド・アルフェッタ、アルフェッタGT)、MG、サーブなどなど、そして、憧れのポルシェ911にも。

アメリカ車
マーキュリー・クーガー、フォード・マスタング、シボレー・カマロ、プリムス・ヒューリー、ダッジ・ダート、ポンティヤック・ファイヤーバード、トランザム、キャデラック、リンカーンなどなど、そして、コルベットです。

日本車
サニー・クーペ、クラウン・ハードトップ、スカイライン2000GT、セドリック、ニッサンキャラバン。       

決して、国産車が嫌いと言う訳ではありません。一番安心して乗れて良いと思っています。
友人に乗せてもらって、やっぱり好いなーと思いますが・・・・なぜか自分が選ぶ時は外国車なんです。

これは最近まで乗っていた愛車です。

2007年8月16日

私とポルシェの出会い

そんな訳で、普通の若者とは少しズレたような車へ対する感覚が今もなお、根付いているように思います。60歳を過ぎた、今も尚、やはり、車はスポーツカーでないと思っています。

1967年富士の裾野に彗星のように現れたのが「ポルシェ・カレラ6」でした。私の眼が点になりました。
「格好いいー」を通り過ぎていました。そして、コース人出た途端、なんと早いの、早いの!しかも、格好がいいんです。仕事を忘れて見入ってしまいました。
強烈な出会いでした。

確か、この次の年の日本グランプリでこのポルシェ・カレラ6(酒井正)がレースに出て有名な30度バンクでスピン、金網に激突、マシンは原型を留めない大破、誰もが生存を信じなかったその瞬間、レーサー酒井正は掠り傷ひとつなしにマシンから生還。衝撃的な瞬間を目撃しました。
ちなみに、このレーサー、酒井正は次のレースでフォード・コブラを繰って見事優勝をしているのです。

普通の神経ではとてもレーサーなど出来ないと思い知らされました。

将来、やがて、いつかはポルシェ(レースのポルシェとは異なりますが・・)に乗る身分になりたいと”夢”見たものです。

ポルシェは当時も今も(40年以上も)そのスタイルは基本的に変わっていないのです。当時から近代的な空気力学を知っていたかのようなデザインなのです。すばらしい、一言です。信じられないことです。

2007年8月 8日

初めての仕事が自動車レース場

富士スピードウエイに就職

大学を卒業する前の年、1965年(昭和40年)12月5日に富士スピードウエイが仮オープンしました。
その時、私は1期生として富士山の麓の静岡県駿東郡小山町にいました。
正式には1966年4月の入社ですが一足早く現場で仕事に就きました。
(翌年2月までに下宿先で卒論を書き、期日までに提出、3月卒業式のためだけに帰郷しました)

明けても暮れても車の話、レースの話です。よくも、こんなに車好きな奴ばかりが集まったものだと思いました。私もその一人で相当な車好きだと思っていましたが上には上の奴がいるもんです。

この時代は、まだ一般家庭にそんなに車は普及していませんでした。3C(車、カラーテレビ、クーラー)を持つことが贅沢そのものでした。

会社にはスカイライン2000GT(プリンス)、フェアレディー1600GT(日産)、コロナ1600S(トヨタ)、べレット1600GT(いすゞ)、ホンダS600、S800、トヨタS800などなど・・・・日野コンテッサ1300GT、ダイハツ・コンパーノベルリーナというのもありました。懐かしいですね!!


こんな車をコースに持ち込んで、皆でタイムを競い合ったりしました。車・車・車の生活の中で1秒(今では0.001 秒)でも早く走る自動車レースに興奮の毎日でした。

私にとって、本格的な車の出会いはこれが始まりでした。

2007年8月 6日

平下治のGIS物語⑱「JPS大阪に復帰」

JPS発足の地に再び

1979年大阪にJPSを設立しました。
1986年鎌倉に関東事務所を置く。
1987年東京日本橋にワンルームのマンションを借り移転(従業員5名)
1991年新聞社にGISを導入をきっかけに日本電気の特約店BISと業務連携。
     大阪事務所を引き払って大阪スタッフともに千代田区神田岩本町に移転。
1993年BISの業務変更に伴いJPSへ復帰。
      中央区日本橋小伝馬町(富士経済事務所内)に移転(従業員6名)
1996年富士経済より同区日本橋堀留町に移転(従業員9名)
1997年同区同町ビル移転(従業員13名)
そして
1998年JPS発足の地、大阪市淀川区に大阪事務所設置(大阪勤務者4名移動)

1998年創立20周年を迎える(従業員17名)

2007年8月 1日

平下治のGIS物語⑰「GISマーケティングの必須データ」

JPSのGISマーケティングコンテンツ
このようにして各種データを整備し販売を開始しました。
それぞれのデータについてはそれぞれに専門の会社があり各社さんを回り提携のお願いをしました。

お蔭様で現在は一般的なGISマーケティングに必要と思われるデータについては整備できたと思っています。しかし、GISマーケティングがますます進むにつれてその要求も増してきています。
JPSは今後もユーザーの要求されるデータについては出来るだけ早く、しかも、安くご提供するように努力していきます。