プロフィール

平下治
平下治
1978年GISに出会い、翌1979年10月ビジネスGIS専門会社株式会社ジェー・ピー・エス設立、以後一貫してビジネス分野でのGISの運用コンサルタント業務に従事。民間のマーケティング現場での出店計画や既存店の活性化、メーカー等の販売促進計画等を手がける。

トラックバック

RSS


GISマーケティングの株式会社JPS


« 2007年5月 | メイン | 2007年7月 »

2007年6月 アーカイブ

2007年6月27日

平下治のGIS物語⑫「ポイントデータの開発」

ポイントデータの開発を手掛けるNTTタウン・ページをGISマーケティングのコンテンツに提案(1995年)

GISマーケティングに欠かせないデータは
地図データ(線情報)
統計データ(面情報)
点情報(ポイント情報)です。

今では、これら電子データを入手する場合は、地図データは地図メーカーへ、統計データは公的機関へ行けば購入できます。ポイントデータ(スーパーマーケットや病院、学校など)についてもGIS専門会社が作成し販売しています。

しかし、JPS設立当時は勿論、1990年半ばまでは殆どなく、GISを導入されたユーザーが自前で作成していました。JPSでは1980年前半ごろからスーパーマーケットを中心にデパートやショッピングセンターなど地図上に一つひとつ手でプロットしていました。

ジオ・コーディングなど便利なツールはありませんでした。毎日、毎日一日に50店、いや、100店だとスタッフ自らノルマを課してプロット作業をしていました。
実は、信じられないかも知れませんが、JPSでは、今も尚、(25年以上)この作業を続けているのです。

スーパーやホームセンター、ドラッグストア、ショッピングセンター、学校、病院、駅など書籍として名鑑がなどを出版されている会社さんと提携して各種のポイントデータを作成しました。

さらに、ここに無い業種についてはどうしようかと考えました。あるユーザーさんから飲食店のポイントが欲しいとのご要望がありました。そこで、NTTタウンページをポイントデータにすることを思いつきました。

早速、行動を開始、タウンページより何十万件と言う飲食店のデータを購入。町丁目にジオ・コーディングして飲食店ポイントデータとして活用しました。これが、きっかけとなって今の「座標付きタウンページポイントデータ」が誕生しました。ありとあらゆる業種が整備されているのでこんなに便利なコンテンツはないと考えています。

当時のNTT情報開発水渡社長と対談記事がダイヤモンドフリードマン社「チェーン・ストアエイジ」に載る。

2007年6月21日

セルビアで2回目のGISセミナー開催

ベオグラード商工会議所のスタッフが感動!

昨年6月セルビア在日本大使公邸に於いて行ったGISマーケティングセミナーのアンコールセミナーを去る6月7日、同日本大使公邸にベオグラード商工会議所の方を招いて開催しました。



今回はこのセミナーに日本側から山梨県大月市の商工会議所からまた北海道札幌、青森県弘前、新潟県新潟市、他に埼玉、兵庫から総勢13名が参加しました。
セルビアと日本のビジネス交流のきっかけになればとセルビア日本大使(長井忠大使)の招待によるセミナーでした。





内容にベオグラード商工会議所のスタッフの方々が口を揃えて「感動した、セルビアでも是非導入したい」とコメントをしていました。

PS:セルビアの女性スタッフは皆さん美人揃いでした。

2007年6月20日

平下治のGIS物語⑪「GISマーケティング本格化へ」

いよいよ本格化PC・GIS!
  大手企業が挙ってGISを導入!
この辺りで私の行動を振り返っておきます。

1979年JPS設立、マッピングシステム「PT210」開発(ミニコン)
1980年PC用マッピングシステム「Falcon」開発
1980年から1981年週刊ダイヤモンドに記事連載
1981年Falconの簡易盤「KITE」開発
1982年から1989年:民間企業へのGISマーケティングのアウトソーシング事業を展開
1986年関東進出(鎌倉に事務所を)
1987年:鎌倉から東京日本橋堀留町へ事務所移転(ワンルームマンション)
1987・88・89年:GISマーケティング推進、朝日新聞社へKITEを導入
1990年:朝日新聞社にKITEを導入を機に㈱BISと業務提携
1990年:千代田区岩本町へ事務所移転(全従業員5名BISに移籍)
1991・92年:GISマーケティング用各種データベース製作
1992年:「コンピュータマッピングシステム活用事例集」日本能率協会総合研究所より出版
1993年:この出版を機に「Mapinfo」に出会う(Falcon・KITEを市場から撤退)
1993年:BISの業務変更に伴いJPSに復帰(富士経済東京第1局へ移転)
1993年:GIS学会入会

1994年から95・96年ごろの話

これまで、「こんなことが出来ると良いのになー」と思っていたことが出来るようになった。
セミナーで「このようにするとこんなマップが出来ます!」と言ってプレゼンテーションをすると会場のあちらこちらから「フォー!」、「フォー!」と言う声が飛んできたのもです。

このシステムを持っていないと他社に遅れをとるとばかりに大手と言う大手企業、特に消費財メーカー、大手流通業は挙って導入しました。
システム、地図データ、統計データ、ポイントデータ。そして、必ずと言うほどカスタマイズ開発。トータル金額はその殆どが2000万円以上。中には億を超えるケースも珍しくなかったのです。

GISバブル期へ

こんな中、私はセミナーなど、事あるごとに「GISはあくまでもマーケティングのツールだから使用目的にあったGISを導入すべきでそんなにお金を掛けるべきでない」と大声で叫んでいたのです。すると、業界の人から「平下さんはこの業界の足を引っ張るのか!」って随分非難されました。

なぜ、私が「小さく、小さく始めて、自信を得てから、大きくした方が好い」と言ったかと言うと、実はこれまでに私は嫌と言うほどの失敗を繰り返していたのです。

後に、私の予言通り、GISの販売は低迷する羽目になりました。
当時非難をしていた人達から「やっぱり平下さんの言ってたことは間違いでなかった」と言われ時、自分の考えが間違っていなかったとホッとしました。

GISは「販売して幾ら」の商売では成り立たない。「使って幾ら」のノウハウが必要なのです。

2007年6月19日

平下治GIS物語⑩「Mapinfoとの出会い」

出版デビュー、そして、Mapinfoとの出会い

昨日の続き

日本能率協会総合研究所から出版された「マーケティング・マニュアル・シリーズ」の中に私のこれまで進めてきたマーケティング手法が取り上げられました。処女出版「コンピュータマッピング活用事例集」がそれです。

今にして思えば、頼んでこられた方は勇気がある人ですね。(日本能率協会総合研究所石川部長)
また、厚かましくも引き受けた私も無謀と言うか・・・・・

企業向けの参考書的なこのシリーズ本は一冊何と28000円でした。確か1000部の出版でした。

この本がJPSを大きく変えることになったのです。

当時、三井造船システム技研(株)がアメリカからウインドウズ版デスクトップマッピング「Mapinfo」の販売を始めようとしていました。当時専務取締の山口為也氏が私の本を見付けられ、たった4名しか居ないJPS東京事務所(日本橋堀留町のワンルームマンション)に尋ねてこられました。

偶然にも私の大学の大先輩でもあり「一緒にビジネスをしよう!」のお誘いにNOの言える立場にありませんでした。(先輩と後輩の関係)

2007年6月18日

平下治のGIS物語⑨「出版の原点」

私の書籍9冊出版の原点!
出版が私の人生を大きく変えました
GIS物語が少しお留守になっていました。⑧の続きを書きます。

この手法はほぼ30年を経過した今でも全く陳腐化していません。2005年12月にダイヤモンド社から出版した「日本列島データマップ2006」は正に、この時に始まっていたのです。

今にして思えば、私はこの75週間、約500日間でモノの見方や考え方が変わりました。また、書くと言う事が自然に習慣づけられました。自分の生活の一部になっていました。この習慣がまぎれもなく私の書く訓練になっていたのです。

1992年に私の初の出版「コンピュータマッピング活用事例集」(日本能率協会総合研究所)の依頼を受けた時も、瞬間的には無理!無理!と思いましたが、心のどこかでは、何となく「やれば出来るかもしれない」と自然に思っていたのです。

結果、私、あの平下治が延べ9冊の出版をしてしまったのです。あの時の笹田先生の一言がなかったら、今の平下治及びJPSと言う会社は間違いなく存在していなかったと思います。


この本が私の出版第1号です。

2007年6月13日

セルビア旅行記

平下治がお札になりました!
今回は日本とセルビアのビジネス交流のきっかけを作るという狙いもあって、全国から(札幌、青森、新潟、山梨、東京、兵庫)セルビアビジネス視察団のような形で訪問しました。

セルビア日本大使館員の皆さんとベオグラード商工会議所のスタッフの方々、そして、視察団のみんなと、総勢50名の皆さんに私のGISマーケティングセミナーを開催し、終了後交流レセプションが行われました。

この模様をご報告したいと思いますがまだ写真が整理できておりません。後日ご報告いたします。

そこで、一足先に表題のお札です。セミナーの次の日、セルビア日本大使(長井大使)の案内でセルビア中央銀行を訪問しました。旧ユーゴスラビア共和国のお金の歴史を案内頂いたときに視察団全員にお札を造ってもらいました。それがこれです。(ちょっと偉い人になった気分です)面白いですね。

画像1

そして、ビックリしたのがこのお札です。0の数を数えてみて下さい。何と、5千億ディナール。1ディナールが2円ですから何と何と!!1億円札です。1992年ごろの超インフレの時に実際に発行されたお札だそうです。この時はミルク一杯が4億ディナールとかソーセージ4本が14億ディナールとかだったそうです。
画像2

2007年6月11日

セルビア1

二コラ・テスラと言う人をご存知ですか?

先週6月5日より4日間旧ユーゴスラビア、現在はセルビア共和国の日本大使館より依頼を受けてセミナーをして来ました。実は今回の開催は昨年6月、GISマーケティングセミナーを開催したところベオグラード(セルビアの首都)商工会議所の方が参加されており、商工会議所のスタッフの方へのアンコール開催でした。(この話は後日報告します)

今日は別の話です。私は今回で3回目の訪問でした。今回は商工会議所の方とわが国のビジネス交流の可能性を探るのと私の仲間にセルビアを知って頂く目的で参加者を募りました。

北海道、青森、新潟、埼玉、東京、山梨、兵庫から総勢13名が参加してくれました。折角だから市内観光をしました。そこで大発見をしました。

表題の二コラ・テスラです。この人が居なかったら現在の電気技術はここまで発展していなかったと言っても言い過ぎではないでしょう。

エジソン(電気の父)、マルコーニー(ラジオの父)は有名ですがこの人にコラ・テスラは誰も知りません。

この人は水力発電の発明家、そして、交流電流を発明した人です。確かにエジソンは偉大な発明家ですがこの二コラ・テスラが居なかったらエジソンもなかったはずです。エジソンは直流電流のみの発明です。(にわか勉強で詳しくは分かりませんが・・・)

交流電流がなければラジオの父、マルコーニーも存在しなかったのです。

そこで、今回旅行に参加した仲間で「二コラ・テスラを知ってもらう会」を発足しました。昨年が生誕150年だったそうでベオグラードの国際空港の名前も「二コラ・テスラ空港」と言う名称になったそうです。

皆さんも一度調べてみて下さい。世界中のみんながこの人の恩恵を受けて生活しているのですから・・・



2007年6月 4日

堺正章・井上順コンサート

大いに、楽しみました!!

先週金曜日新潟に出張、偶然にも、この日の夜、堺正章・井上順コンサートが新潟県民ホールであることを知りました。

実は私がベースを習いたいと思ったきっかけは「長澤悟氏」。私の音楽の先生です。彼は色々な有名歌手のドラマーとして活躍中です。
そして、この、堺正章・井上順全国ツアー・コンサートのドラムを担当しています。

コンサートは大満足の楽しいものでした。コントあり、歌あり、踊り、そして、あのかくし芸まで盛り沢山でした。久し振りに心休まる楽しいひと時を過させてもらいました。

コンサート終了後、楽屋に行き、堺さんにお会いしました。素晴らしい人で、また、改めて大ファンになってしまいました。

機会があったらぜひコンサートに行かれてはどうですか?

ちなみに、ドラムの長澤悟さんは毎週水曜日に銀座の「フェロー6」という店で自分のバンドをもって演奏しています。こちらにも是非足を運んであげてください。